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大阪高等裁判所 昭和44年(ネ)1813号 判決

被控訴人 富士銀行

理由

《証拠》によれば、控訴人は、昭和三六年九月頃から京都府知事の許可を受けて土地建物売買の仲介業を営んでいることを認めることができる。

本件物件につき、昭和四〇年五月中、被控訴銀行と被控訴会社との間に売買契約が成立したこと、控訴人は、昭和三八年中の日曜日被控訴銀行京都支店長今井彊を訪ね、その後今井支店長が控訴人に支店長代理加藤勇を紹介したことは当事者間に争いがなく、被控訴会社は本件物件の実測図面を控訴人に渡したことは控訴人と被控訴会社との間に争いがなく、《証拠》によれば、控訴人は、右実測図面を加藤勇に交付したこと、同年七月中、控訴人は、加藤勇を本件物件に案内したこと、その後、控訴人は、加藤勇から被控訴銀行大阪事務所長代理新浜隆春を紹介され、同人を訪れて本件物件に関する話しをなしたこと、その後控訴人は、新浜隆春を数回訪れ、同人から株式会社竹中工務店の中島昭二を紹介してもらい、同人を訪れるようになつたことを認めることができる。

以上の事実によると、控訴人は、昭和三八年中、被控訴銀行と被控訴会社との間に介在して、本件物件につき、何らかの仲介行為をなしたのではないかと推認し得ないではない。そこで、被控訴銀行及び被控訴会社と控訴人との間に、それぞれ、本件物件の売買につき、仲介斡旋の委託契約があつたかどうかについて判断する。

二、控訴人は、「昭和三八年七月中控訴人が被控訴銀行京都支店長代理加藤勇を案内して本件物件を見せたところ、同人は、控訴人に対し、被控訴銀行としては、本件物件を買受けたいと回答した。」と主張するところ、案内の事実は前記認定の通りであるけれども、その余の事実につき、これに副う《証拠》は、たやすく措信し難く、却つて《証拠》を総合すると次の事実を認めることができる。

被控訴銀行においては、関西地区の同銀行用地の売買に関する事項は、同銀行本店大阪事務所の所管に属し、各支店には、右に関する契約締結、仲介、周旋の依頼等をなす権限はなかつたが、各支店長は、その用地について希望、意見を大阪事務所に述べたり、所有者を打診して、売買の意思の有無を確め、或いはその他の情報を集収して右事務所に報告することは、その当然の事務としてこれを行つており、支店内部では、庶務担当の支店長代理がこれら事務を所掌していた。昭和三八年初夏の日曜日、被控訴銀行京都支店長今井彊は、突然私宅に控訴人の来訪を受け、同人から同支店のガレージ用地として本件物件その他の物件が適当なものであるとの話を聞いた。控訴人が話した右物件のうち、かたばみ荘の物件は被控訴銀行が既に買受け済みのものであり、本件物件は、同銀行京都支店において買収を希望し、所有者である被控訴会社と或る程度の交渉がもたれていたものであり、その他の物件も全て被控訴銀行が知つているものであつた。今井彊は、控訴人とは初対面であり、被控訴銀行には出入の大手仲介業者があり、控訴人のような個人の仲介業者に被控訴銀行が用地売買の仲介を依頼することはないことを知つており、その上右のように話しに出た物件はいずれも既知のものであつたので、控訴人の来訪を迷惑に感じながらも、控訴人が本件物件の話を持つて来たのは、或いは被控訴会社の了解を得て来ているのではないかと思い、そうだとすると、話しを聞くことを無下に拒絶して、本件物件を買収したいとの被控訴銀行の計画に支障を及ぼすような結果となつてはならないと考え、控訴人に対し、あらためて通常の日に被控訴銀行京都支店に来訪されたい旨述べて、その日は、帰つて貰つたが、その後二、三日経て控訴人が被控訴銀行京都支店に来訪したので、庶務担当の支店長代理たる加藤勇に控訴人を紹介した。加藤勇は、そのとき、控訴人に対し、被控訴銀行京都支店はガレージ用地を物色しているけれども、用地買収の権限は持つていないことを告げ、本件物件について、控訴人に仲介の労をとつて貰うことには全く触れず、話を聞いただけで別れた。加藤勇は、その後屡々控訴人の来訪を受け、ガレージ用地の適地として本件物件その他の物件について話を聞かされるようになつたが、その都度といつてよいほど、話を聞くにさきだつて、控訴人に対し、被控訴銀行京都支店は、用地の買収についての窓口ではなく、その決定権を持つておらず、控訴人に本件物件の仲介を委託することはできない旨を述べていた。今井彊は、最初私宅に控訴人の来訪を受けてから二週間位後、被控訴会社京都支店長高崎善英と会い、同人に対し本件物件に関する接渉は被控訴銀行本店大阪事務所が担当するものであり、同事務所は、恐らく株式会社竹中工務店を介して接渉するであろうということを告げると共に被控訴会社においては控訴人を仲介人として使用するのかどうかと確めたところ、高崎善英は、被控訴会社が控訴人を仲介人として使用するようなことはしない旨確言したので、その頃、控訴人に対し、被控訴銀行としては、控訴人に仲介を頼んだことも今後頼むこともない旨を告げていた。しかるに、その後も控訴人は、被控訴銀行京都支店を訪れ、加藤勇に対し熱心に本件物件その他の物件を見に行こうと誘つたので同人は、これを拒絶しかねて控訴人の案内をうけ、また控訴人から本件物件の実測図面の交付を受けたのであるが、加藤勇は右案内を受けたときも従来のように本件物件を買う意思があるとか、その仲介を委任するとかは云わず、また右図面も一度は拒絶したが、控訴人が軽い気持で持つて来たのだから受取つてくれと云つたのでこれを受取つた。

右の通り認めることができる。

右認定事実に基づけば、控訴人の前記主張事実は到底認めることはできない。

控訴人は、さらに「昭和三八年一一月末頃、被控訴銀行本店大阪事務所長代理新浜隆春から控訴人に対し最終的に本件物件を被控訴会社の希望金額で買受ける旨の回答があつた。」旨主張するけれども、これに副う《証拠》は、たやすく措信し難く、却つて《証拠》を総合すると次の事実を認めることができる。

加藤勇は、昭和三八年九月頃、控訴人から被控訴銀行本店大阪事務所の用地売買の担当者を紹介されたい旨頼まれ、今井彊の意見は控訴人が行き度いと云うのなら拒絶することもあるまいとのことであつたし、厄介者から逃れられるとの気持もあつたので、右依頼に応じて大阪事務所長代理新浜隆春に控訴人を紹介した。控訴人は、その頃、大阪事務所で初めて新浜隆春に会い、同人に対し、被控訴銀行京都支店のガレージ用地に適当である被控訴会社の本件物件を紹介する。ただ、それには条件があり、被控訴会社は、本件物件の代替地として御池通りの土地を購入することができれば本件物件を売却することができる。との趣旨の話をした。新浜隆春は、右初対面の日は会議中であつたので、控訴人に対し、用件を承つて置く旨を述べて、早々に別れたが、間もなく、再度控訴人の来訪を受け、同人から返事の催足を受けたので、未だ検討していない旨答えて別れた。同年一〇月末頃、また控訴人の来訪を受けた新浜隆春は、一ケ月足らずのうちに三度も尋ねて来る控訴人の意図に答えて、控訴人に対し、被控訴銀行としては、本件物件に関する仲介を頼む必要はなく、たとえその必要があつても、控訴人のような個人の不動産仲介業者に仲介斡旋を依頼するようなことはないから、被控訴銀行から仲介斡旋の依頼を受けようとすることは諦めて貰いたい旨伝えたが、なお熱心に懇請するので、そのように熱心に云うのであれば、株式会社竹中工務店に行つて、売込んでみたらどうかと云つて、新浜隆春の名刺に同年一〇月二一日付で竹中工務店の中島昭二宛に控訴人を京都支店の件について紹介する旨の記載をなし、これを控訴人に交付した。しかし、その後も控訴人は、新浜隆春を尋ねてはいたが、同人は控訴人に対して本件物件を被控訴銀行が買うとか、仲介を依頼するとかということは全く云つていない。

右の通り認めることができる。

右認定事実に基づけば、控訴人の前記主張事実は到底認めることはできない。

そうすると、被控訴銀行と控訴人との間には、本件物件の売買につき、仲介斡旋の明示の委託契約は勿論黙示の契約もなかつたものといわざるを得ない。

ところで、控訴人は、土地建物売買の仲介業を営んでいる者であるから、商法第五〇二条一一号にいう「仲立ニ関スル行為」を営業とする者であり、同法第四条一項の商人である。従つて、被控訴銀行京都支店長今井彊、同支店長代理加藤勇、同本店大阪事務所長代理新浜隆春に本件物件のことを話したこと、本件物件の実測図面を加藤勇に交付したこと、同人を本件物件に案内したことが商法第五一二条にいう「他人ノ為メニ或行為ヲ為シタルトキ」に該当するとすれば、委託契約がなくても、事務管理行為をなしたこととなるから、同条に基づいて被控訴銀行に対し報酬請求権を取得するものといわざるを得ない。しかしながら、右認定事実によれば、控訴人が今井彊次いで加藤勇に本件物件の話をした段階において、同人らは、既に本件物件のことを知つており、かつ被控訴銀行京都支店は被控訴会社と交渉をもつており、今井、加藤両名とも本件物件の売買につき控訴人を仲介にたてるつもりはない旨の態度をとつていた。そして、その後、さらに控訴人が被控訴銀行京都支店を訪れるにおよび今井・加藤両名は控訴人に対し、被控訴銀行京都支店は控訴人を仲介にたてる意思のないことを明言し、本店大阪事務所長代理新浜隆春も当初から控訴人に仲介を依頼しない意思を明確に表示していた。加藤が控訴人から本件物件の案内を受け、その実測図面を受取つたのはその後のことで、それも控訴人の執拗な要求に屈してのことである。そうすると、控訴人の前記行為は、初めから拒絶の意思を明らかにしている被控訴銀行に対するいわゆる押し売りであつて、これを被控訴銀行が承認し、忍受しなければならないものではなく、本件物件の売買の成立に何ら貢献していないのであるから、事務管理とはいえず、同条にいう「他人ノ為メニ或行為ヲ為シタルトキ」なる要件に該当しない。従つて、同条に基づく報酬請求権は発生しない。次いで、商法第五五〇条二項に基づく報酬請求権発生の有無を考えるに、後に説示するように控訴人は、被控訴会社と被控訴銀行との間の本件物件の売買が商行為に該当するにしても、これについては、両名の何れからも仲介の委託は受けておらず、かつ仲介行為もしておらず、従つて被控訴会社に対し報酬請求権がないのであるから同法条の適用の余地はない。

そうすると、控訴人は、被控訴銀行に対し本件物件の売買について報酬請求権を有していないことは明らかである。

控訴人は、「被控訴会社は、昭和三八年九月頃、同会社京都支店長高崎善英を通じて控訴人に対し代金一坪当り金八〇万円位で本件物件の売却方を委託した。」と主張するけれども、これに副う《証拠》は、たやすく措信し難く、却つて、《証拠》によると次の事実を認めることができる。

被控訴会社京都支店と三菱信託銀行京都支店とは古くから取引関係があつたものなるところ、三菱信託銀行京都支店は、その店舗が借家で、かつ狭隘であつたので新築店舗の敷地を物色し、昭和三六年頃、被控訴会社烏丸営業所の所在する本件物件の買受けを強く希望し、その旨の申込みをしていた。被控訴会社は、その頃、本件物件の土地に、三条にあつた同会社京都支店も含めて同会社関西支社ビルを建設しようという計画を持つていたが、一方御池通りに進出して、そこの適地に関西支社ビルを建設したいとの希望を持つていたので、若し御池通りに本件物件の代替地を獲得できるのならば本件物件を三菱信託銀行に譲渡してもよいと考えていた。右の事情を知つた三菱信託銀行京都支店は、昭和三八年夏より前、右代替地として御池通りの二、三の物件を被控訴会社京都支店に推薦していたが、いずれも同支店の意に副うものではなかつた。そうしているうち、昭和三八年夏、控訴人は、被控訴会社京都支店を訪れて、支店長高崎善英、経理部長宮野五郎に対して右代替地として御池通りの自衛隊の土地を紹介した。高崎、宮野らは、自衛隊の右土地は、面積、立地条件共に申し分のない代替地であると考えると共に控訴人が三菱信託銀行京都支店に出入りの不動産仲介業者であり、この件についても同支店の紹介で来た旨を話していたので、控訴人を同支店の使者ないしは代理人であると考え、その頃、三菱信託銀行京都支店に本件物件を譲渡する場合の必要のため、控訴人に対し本件物件の実測図面を交付した。しかるに、その後間もなく、被控訴会社は、自衛隊の右土地を入手するためには、自衛隊のために、新たな土地を探し、その上に建物を建築し、いわゆる等価交換の方式を履まねばならないこと、その実現は、早急には望めないことを知り、自衛隊の土地の獲得を断念するに至つた。一方、その頃になつて、三菱信託銀行京都支店は、本件物件は同支店建設用地としては、狭隘であるとの理由で、同本店の決裁が得られなかつたので、買受を断る旨の意思表示を被控訴会社京都支店に対してなして来た。そこで、被控訴会社京都支店は、三菱信託銀行京都支店に対し、本件物件に関する同支店との交渉は終了したから、今後本件物件に関し控訴人を介在させることを止めて貰いたい旨を申入れ、同支店もこれを了承した。一方、被控訴銀行本店大阪事務所の豊川次長は、同年九月頃、本件物件の買収につき、株式会社竹中工務店に仲介を依頼し、その不動産課長である中島昭二をしてこれに当らせたが、同人は、同工務店専属の仲介業者である川上土地株式会社と共に被控訴会社京都支店と接渉し、その説得のために、同京都支店の所在する三条の土地上に被控訴会社関西支社ビル建設の設計図を作成し、その必要資金を計上したうえ、本件物件を被控訴銀行に売却すれば、その売却代金で右資金を賄い、なお余剰を生ずることを示す等の努力をして、遂に、被控訴会社に本件物件を売却して、三条の土地に同会社関西支社ビルを建築する決意をさせ、前記売買契約の締結に成功した。

右の通り認めることができる。

右認定事実に基づけば、控訴人は、被控訴会社京都支店と三菱信託銀行京都支店との間の本件物件についての交渉に関しては、被控訴会社京都支店から仲介の依頼を受け、或る程度の媒介行為をなした事実はあつたけれども、被控訴銀行京都支店と被控訴会社京都支店との間の前記売買契約について、仲介斡旋の委託を受けた事実はなく、また、両者間に介在して右売買の媒介をした事実もないから、被控訴会社に対し報酬請求権を取得するいわれはない。

よつて、控訴人の各報酬請求は、その余の判断をまつまでもなく失当として棄却すべく、右各請求を棄却した原判決は正当であり、本件控訴は理由がない。

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